Zero-Alpha/永澤 護のブログ

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【アリアドネ―/Ariadne】:ギリシア神話でクレタ島の王ミノスの娘。アテナイの王子テ
セウスに糸巻きを与え、クノッソスの迷宮にす棲む人身牛頭のハイブリッド怪獣ミノタウロ
ス殺害と迷宮からの脱出を助ける。後にディオニュソス神と結ばれる。

 
           【第一部:植民地の生産】

……今はもう誰もいない部屋にて。まどべ窓辺からさ射し込むたそがれ黄昏の光にうなが促されてふとふ振り向く
と、――記憶のかなた彼方で、すで既にそこ其処にいない、何かの影がかす微かにゆ揺れ動く。


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……どうしても、その部屋の記憶がよみがえ甦って来ない。思い出すのがこわ恐いのだろう。しば暫らく
眠れない夜が続いた。それでも私は、わず僅かな記憶の糸をたぐ手繰り寄せながら、手が掛かりをさが探し
始めた。あのクノッソスの迷宮にいど挑んだ神話の中の娘、アリアドネ―を追い求めるかのよう様に
して。
記憶の糸がとぎ途切れけ掛けたその時――からだ身体中に冷たい、不思議とねっとりとした液体がし染
み通っていった。まるで未知の生き物の様に。
何かで刺しつらぬ貫かれた様な痛みが走った。
一体何だ?

(だが、お前は本当に思い出せないのか? それは、嘘だ! お前は今、あ或る鮮明な光景
に出あ遭っているじゃないか。と疾うの昔に忘れてしまったはず筈の何かに。いつか必ず、お前は
その何かに出遭うのだ……。)

――夢の中で、次々と忘れられた言葉の切れはし端が、あの閉ざされた部屋の壁に浮かび上
がっていく。そしてその壁のさ裂け目から、今度はするど鋭い娘の叫び声が聞こえて来る。誰もい
ない筈の、誰もいなかった筈のその部屋。だが確かに、誰かが其処にいたのだ。誰からも
忘れられ、外からは決して見えなかったのだとしても。それが一体誰なのか、誰一人私に
聞かなかったし、私も、誰にも聞かなかった。聞けなかった。
――未来の記憶のささや囁きが聞こえる。いつか出あ逢うことがあるだろうか。あの娘に……。
急に頭がしび痺れてくる。しかし、痛みの中でかくせい覚醒している。みみもと耳元に、あの娘の声が聞こえて
来る。(「私は今、たったひと独りだ。今は、もう誰も、この私を知らない。誰にとっても、も
う私はいない。私も、もう誰も知らない。私が、いつどこで生まれてきたのか。生まれて
きて、一体どうなったのか。そして、誰に、何をされてきたのか。でも、たとえ仮令知らなくて
も、それを私は追いかける。どこまで迄も……。それが私にとって、未だ見ぬ未知のものだか
らこそ……」)
その声を聞いて以来、いつかどこかで出あ逢った者たちの叫びと囁きが、私の眠りの奥深
くす棲みついてしまった。……眠りの内側に折りたた畳まれた……くも蜘蛛の巣のようなかいろう回廊……無
数の曲がり角が、見せか掛けの出口へとさそ誘う……

――夢の中でついさっきす擦れ違った誰かは、どこか遠くの街はず外れのほどう舗道でも出逢った様
な気がする。街の名前は、もう忘れてしまった。そして、それが一体いつなのかも。あの
時の、言葉を持たない光のて照りかえ返しは、おぼ覚えていても。どこかへたど辿り着けるのかどうか、
誰も知らない道。その上にの延びる影が、しだい次第に接近しながら、微かに揺れ動く。ヴァミリ
オンの夕陽が射し始める直前の、不思議と静まり返ったあの時刻……
その顔は、その時も、夢の中でも、何故か見ることが出来なかった。恐らくは消された顔。
一体誰によって消されたのか? うば奪い取られた顔? ――しかし、取り戻す必要は無い。
取り戻そうとすることは、それを奪った者たちのわな罠にはま嵌ることだ。問題は、その罠から、
この不可視の植民地から脱出することなのだ……。暫く歩いて、私は振り返る。その道の
向こうから、誰かの声が聞こえる。顔の無い声が。
(――私は其処に閉じ込められた。もうずっとずっと、幼い頃から、いや、生まれた時に
はすで既に……。其処がどこかって? 私にはもう見えない。何も。……それは、決して在って
はならないことだった。その筈だった。すべ全ての者が、いつしか誰でもない何かになって、
見えないくさり鎖につな繋がれる。しかし、それがいつ奪い取られたのか分からなくても、その奪い
取られたものは、絶対に消え失せてはしまわない。もし人がみな皆……それ無しには生きられ
ないのならば。それは、永遠に消すことの出来ない、永遠にいや癒しを求める何かだ。……そ
の為だった。その失われた何かが、人々のぼうきゃく忘却の海の底で生きの延び、いつしかうわさ噂となって
復活してしまったのも。私には今、その声がはっきりと聞こえる。)
……私が生まれた時だって? 皆、言ってたじゃないか。「――お前が生まれた時なんか無
いって。お前が生まれたのなんか、誰も知らないって。何故って、お前はいつも、オレた
ちとはぜんぜん全然関係ないところで、いつも独りでいたじゃないか。いつも******ばっかり見て
たじゃないか。その部屋で、おんなじ場面を、繰り返し、バカみたいに……。何で其処に
はお前の他に誰もいないんだよ。お前が生まれた時から、お前のせいで、皆、いなくなっ
ちゃったんだろ。こわ恐がって。ヘヘ。おっかねえなぁ。お前一体誰なんだよ!
……あ! そうだ! お前が皆を消しちゃったんだ。ヘヘ……」
(――違う! 逆だ、逆なんだ! 私は何もやってはいない! この私が……この私こそが
やられたんだ……)
…………………………………………………………………………………………………

街角で。噂――
「で、それからどうなったって? いつだったかも、ここいらでそんな噂があったって言
うけどよ。――オレもそこ迄は知らねえからな。へへ。それにしても、――ったく、オモ
れえよな。娘そんなになっちまって。 ハハハ ハハ」

(――私が眠りからめざ目覚めたその時、何かのかげ陰で、しんく深紅ににじ滲んだ血のこんせき痕跡が浮かび上がる)

…………………………………………………………………………………………………
だがいつしか、人々の噂は完全な沈黙へとその姿を変えた。それと共に、人々の噂が其
処に棲み付いていた筈の街の記憶も消えた。人々は消えた街の奥底にと閉じ込められた。そ
してこの私も?

――どこ迄も見えない記憶をたど辿って、私は、かんぺき完璧にしく仕組まれたわな罠、ある或いは〈うわさ噂〉へと接
近する。人々が沈黙の中で語る不可解な物語の中でほうかい崩壊した、〈自己〉という名の植民地に
いつしか侵入してしまった無数のウィルスの群れを追い求めながら。

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「……さあ、いつだったかねえ、よくおぼ覚えてませんが。で、昔のことが、何かあのことと
関係あるんですか? あるわけ訳無いよね。とにかく……何も私に聞くことないでしょう。関
係無いんだから。あんた、めいわく迷惑なんだな。あのことなら、直接本人の親に聞いたらどうで
す?」
「今の所はちょっと……」
(俺は、こいつをおぼ憶えている様な気がしてしかた仕方が無い。……そうだ! 俺が未だ**の時、
こいつは俺たちの学校へやって来て、クラスで一番や痩せ細っていた×××の――どこかの
やみ闇工場から流れたスペアのくず屑だったが――耳を笑いながら切り落とした。その時、既に、
×××の眼球は無かった。
 「もう、こんなものいらねえだろ? ヘヘ」 
 ――×××は半泣きでヘラヘラ笑っていた。やがてその声は消えた。すいじゃく衰弱した×××の
からだ身体は、動かなくなった。その次の瞬間、もう×××は収容されていた。俺の身体も、動
かなかった。どうしても、声が出ない。こいつは、あっけな呆気無いほど簡単に、×××を消しち
まったんだ!「ゆうべ昨夜よお、カノジョ、ベロベロッて食べちゃったァ」なんて、わめ喚き声を上
げながら――。その時、俺は、ただ唯それを見ていた……)
………………………………………………………………………………………………
「……そうねえ、あの頃には既に……ハシリだったんですかね? もうかなり昔からだった
と思いますが。あいつら、ずいぶん随分な慣れたもんだった様ですから……ええ、もう××年以上も、
いや、やっぱりもっと昔のことですね。全く……古い、古い、いやアホですよ、今時、闇
で中古品の〈人形〉を売るなんてのは。一体誰がそんなもの買うんだか……。
――え? 買うんじゃない? 大人のまね真似をしてた? ヘヘ さあねえ、そんなこと分かり
ませんが。しかし、ずっと続いてるとはねえ。ヘヘへ」
……………………………………………………………………………………………………

                2/2
(俺はま先ず、この街から消えたあいつのゆくえ行方を追った。それがどうしても見つからない。
どうやら俺は、或る未知の時がやって来る迄、この街から脱出出来ないらしい。その時が
仮にやって来るとしての話だが。だがそれが、俺が消される時だったなら……。あいつが
消えたのとほぼ略時期を同じくして、噂の中のあの「オヤジ」も姿を消してしまった。ああ、
最悪だ! だが俺はつい遂に、あの「オヤジ」に関わるかぎ鍵をにぎ握っていると思われる一人の女性を
さが探し当てた。恐らくは、あいつの母親。彼女は、せんぷく潜伏していた。或る眼に見えない、この
街の未知の力によって消される前に? それは既に始まっているのか? 俺はあいつのこ
とが知りたい。)

「急に聞かれても……あの子がその子たちとどんな関係があったのか、今でもはっきりし
ないんです。何も知らされなくて。本当に何も……。しょうこ証拠があるわけじゃないですから。
それに、あの子の友達や、ちょっとした知り合いを皆知っていたわけでもないんです。で
も、その内の一人は……いつもあの子に言ってたそうです、俺の知り合いに、先輩なんだ
けど、すっごい金持ちで恐いのがいるんだぞって。そのことを私に言った時、あの子は今
迄見たことが無い様なすご凄く暗い顔をして……。今思えば、黙ってはいましたが、私にうった訴え
たかった様でした。母さん、俺もう行きたくないよ、俺まずいよって……。もう**年前
のことですが……今だったら、もしかしたら私も違っていたかも知れない……でも、きづ気付き
ませんでした……まさかあの子がその時からねら狙われていたなんて……」

 (狙われていたのは、やはりあいつだった。もちろん勿論、あいつが最初でも最後でもない。だ
があいつは……俺があの頃、いつもたった独りでいるそのかたわ傍らを黙って通り過ぎることが
出来なかった、唯一人のやつ奴だった。学校の近所の公園で、放課後、俺はあいつといっしょ一緒に走
った。その時、あいつはどんなにうれ嬉しそうだったか……。――もう、あいつには逢えない。
恐らくこの俺もじき直に、時間切れで消えるって言うのに。あいつにあ逢えなかった。間に合わ
なかった……)

「みんな皆知ってます。あの子がい逝ってしまったその場所は……たぶん多分、皆が一度は行ったことの
ある所ですから。それでも、一人でも人がいる時には、私が出ていって其処へ行くことは
出来ません。皆知らないことになっているんです。本当のこと、そして本当の場所は。私
以外には……。
皆私のせい所為でどれだけめいわく迷惑がっているか……客がよ寄り付かんようになったら、皆あの女の
所為だと、死んでしまう様な子に育てたあの親の所為だと……。
……それから暫らくして、私は気付かれない様に、商店街のはず外れの、その地区から出まし
た。それでもあの頃は、毎晩自転車を走らせて其処へ会いに行ってたんです。あの子に会
いたい一心で……。必死になっておが拝んで、もうここには長くはいれないから、出て行く時
にはあの子も一緒に連れて来れる様にと。これからあの子が、こんな所で独りになって苦
しまない様にと……」

                 3
俺は今……『Ariadne Clubアリアドネ・クラブ』の或る代理人を発送者として間接的にいらい依頼された聞き
取り調査の帰りだ。俺はちょっとした気の向き様で、それだけは目が無いぎんじょう吟醸酒を一びん瓶買
ったつい序でにシンハビアをかわぎし河岸のカウンタ―バ―『みつお密緒』で軽く飲みほ干した後……いつもの
分析用もぞう模造クル―ザ―(即ち、偽装されたアナライザ―)のデッキ甲板にいる。現在『アリアド
ネ・クラブ』は、主として超ちはつ遅発性強度トラウマ外傷効果の分析およ及び治療実験をこのエリア街で大規模に
展開している。恐らく、この街全体をある種のぎたい擬態にして、その実験場にしているに違い
ない。ちょうど丁度、この模造カウンタ―バ―の様に。言いか換えれば、この街自体が、実験場とし
て生産された大規模な装置なのかも知れない。だとすると、この街も、あの人々の噂の中
の――占領され、忘却された街だということになる……。
クル―ザ―/アナライザ―発着場わき脇の準生体タイプの柳に夕陽がまと纏わり付いている。クル
―ズ/分析は久しぶ振りだ。今回クル―ザ―/アナライザ―が生成し分析するげんぴょう言表の読み取
り操作が、今後調査を続けていく上でのかぎ鍵になる筈だ。この読み取り操作によって、被分
析者は、〈自己〉の経験という出来事として、言表が展開する時空――つまり誰かの〈光景〉
――にそうぐう遭遇することになる。即ち、調査の過程で聞き取られ、言表へと変換された資料は
全て分析にかけられ、その分析結果の同時的読み取りが或る〈光景〉となって展開される。
それが俺自身の、或いは――もはや最早俺ではない誰かの現実となって繰り返し回帰するのだ。
さあ、そろそろ次の出発の時間だ。
その時……ふと俺は、あの『うそつ嘘吐きのパラドックス』――『我々クレタ人は皆嘘吐きだ』
――が、クレタ島のクノッソスからBC596年―BC593年頃アテナイへとやって来たエピメ
ニデスの言葉として今に伝えられていることに気付く。その瞬間、とど届く筈の無いあのラビリンス迷宮か
らの叫びがこの胸をつらぬ貫いた。同時に鮮明なイメ―ジにそうぐう遭遇する。街角のカウンタ―バ―『密
緒』のもぞう模造デッキ・カウンタ―に、あたか恰もはえ蝿の複眼の様なサブユニット・モニタ―画面のじゅうなん柔軟
な集合体として連結された準生体タイプのディスプレイ。其処に今、誰にも見えない筈の
無数の文字列が、微かなフォスフォレサンス燐光と共に浮かび上がっている……

――既に語られたこと、書かれたこと、そしてその都度の語ること……の間の裂け目は、
決して埋まらない……
 その瞬間、クル―ザ―の発着場のかたわ傍らに立っている何人かのまなざ眼差しが、すばや素早く俺をい射る。
おのおの各々時計と俺とを交互になが眺めながら、何かはっきりしない笑いを浮かべている。俺は、誰
だか見えないやつら、それも互いに区別の付かない、言わば何のへんてつ変哲も無いやつらにた絶え
ずモニタ―されているらしい。もうそう妄想かもしれないが。え? 妄想だって? おいおい、嘘
だろ、それ。いつも感じるこの視線と、あの囁きは、一体何だ?
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ふと気付くと、彼らの姿は見えなくなっていた。いる筈なのに。気の所為かも知れないが、
時間の流れがかなりげんそく減速している様だ。或いは、本来の時間の速度にようや漸く身体が同調し、
それに気付き始めたのかも知れない。俺は今、カウンタ─テ─ブルの上の倒れたカクテル
グラスからゆっくりとあふ溢れ始めたギムレット?の液体をなが眺めながら、俺より先にこの街か
ら消えていった者たちを思い起こしていた。
――ああ、まるででかいくうどう空洞が、この胸から腹にかけたあた辺り、その見知らぬ裏側にあ空いて
いるかの様だ。思わず手でさす摩るが、少しも落着いた気持ちにならない。気になるたび度に、い
つも其処に冷たい風が吹いている。その冷たい風が、何かはっきりとは知りたくないこと
をしさ示唆している。俺の仕事は、決して「知ること」では無い筈なのだが。…… 一人消され
るごと毎に、その分残された者たちの残り時間は確実にへ減っていく。もし自分が誰かを消して、
その分時間をかせ稼がない限り? 俺はいつかそんな事を、あの見知らぬ発送者にしさ示唆された
様な気がする。この俺も、実験対象であると同時に、その実験装置の能動的な部品の一つ
なのだろう。即ち、俺を含む全ての者が実験の共犯者となっている可能性が高い。恐らく
そうに違いない。又、そうでなければ、柔軟な装置の構築は不可能だろう。だが誰一人、
一体自分にどれだけの時間が残されているのか分からないのだ。この情報の完璧な欠落が、
装置の柔軟な作動にとって不可欠な条件なのは言う迄も無いが。急がなければならないっ
て? しかし、どうやって? この俺が完全に消えてしまう迄、どうすればいいのかさっぱ
り分からないじゃないか! 誰に何を聞いても、いっこう一向に謎はと解けない。俺は分析の総体を系
列化するTimer時計を持っていないし、そもそも謎のありか在処さえ分からないからだ。例えば、「密緒」
とは、或る女性?の名前でもあるらしい。それは一体何を意味するのか? だが、あいつ
がやつらに消されたこと、それだけは……
(あの時の、あいつの母親の声が俺ののうり脳裡に響く。)

「……私は気付かなかったんです。嘘じゃありません、本当です。あの日も、あの子は、
私に向かってえ笑みを浮かべながらでか出掛けていった。いつもの様に行ってきますと言って…
…。いや嫌だなんて一度も言いませんでした。まして、行けばどうなるかなんて……。何もあ
の子は言ってくれなかった。私のたった一人のあの子は……。最後迄。もっと話をすれば
よかったんでしょうか、何でもいいから、もっとあの子と話を……。でも何を話せばよか
ったのか、今でも分からない……。分からないんです。
……ここに、最後の日に、残されたものがあります。学生カバンの中に、あの子の手書き
のノ―トがあるんです。それが何ペ―ジも、何ペ―ジも、やぶ破り取られていて……。でも、
あの子は捨ててはいませんでした。未だあったんです。机の引き出しの奥に。あの子は、
どんなに恐ろしくとも、それを捨てることは出来なかった。そして、私はそれを読んでし
まった。其処には××人の名前がはっきり書いてありました。あの名前もありました。あ
の子があの時言っていたあの名前も……。あの時私が聞いていた名前です。私は聞いてい
たんです。あの子からはっきりと。それなのに……。――私はあの子を、奪い取られたん
です……もう、この私は……誰でもない……誰でもないんです……」

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(あの時、あいつの部屋の電話の最後の呼び出し音がな鳴った。あいつ以外聞くことの無か
ったあの音。あいつの部屋は、その時既に忘却の街の裏側へと移行していた。)

 「――オメェ、もう聞いてるよなあ、またオレのセンパイ……の件だけど。あのカネだ
よ、カネ。明日まで。オメェ、消されるなよ。未だオメェわけのわからねえものと取り替
えられたくねえだろ。スッカリよ。もうナガァァイ付き合いだもんな、オメェも。そうだ
よなあ、長いよな、オメェは。ほんとに。しっかし何でなんだろうな、オメェの場合は。
――ひょっとして、オレのせい? バカやろ!こいつ、オメェだけじゃねぇっての。イッ
パイいるんだよ、センパイ愛しちゃってんの。ったく、クサる程わいてくるぜ、このゴミ
どもが……オメェだけじゃねぇんだよ! ――……たしかにオメェ、ひでぇけどよ。……、
オメェ死ぬなよな、ほんとに。マダマダなんだからよ。(……ところでそのセンパイってよ、
一体誰だかオメェ知ったらよ、オドロクってもんじゃないぜ、オメェだけじゃなく、皆。
ゼッテェ教えてやんねえけどよ……ったく、あの「オヤジ」だもんな、あの「オ・ヤ・ジ」。
よくやるよ、ったく、あれじゃワカリっこねえよな、オメェらかわいいゴミどもには……
ったくよ、あの「オヤジ」、もろマジだぜ……マジ冗談じゃねえ!!オヤジ狩りどころじゃ
ねえよ、ヘヘ……未だに狩られちまうボケもクサる程いるけどよ、あの「オヤジ」にかか
っちゃもうお終えよ、ヒヒ、オメェらなあ、皆もうオワリ。ヤッパ、オメェら消されて丸
ごとスッカリ取りか替え……)」
………………………………………………………………………………………………

                4/3
あのカウンタ―バ―に残された記録によ拠れば、あいつが消えた日の二日前の夕方、あの
「オヤジ」はあいつの担任の教師に会っていた。噂に拠れば、話し終わった後、二人共時
計を見ながらニヤニヤしていたらしい。その翌日の放課後、あいつはとつぜん突然呼び出された。
「一体何があったんだ!」と、わざ態とらしく顔色を変えた担任に。

「――何故そういつまで黙ってるんだ! お前なあ、この俺と話すの嫌なのかァ? おい、
言ってみろよ。あァ?」
黄昏の光を背にして、ポケットに片手をつ突っ込んだ担任がにじ躙り寄って来る。俺には聞こえ
ない形だけのくちぶえ口笛を、一見陽気に吹いている。何かをかく隠し持っている様だ。その何かは、
これからやって来る時間がもたら齎すきょうらく享楽を予感させている。俺が消されるその時間が齎す享楽
を。その顔又は頭部は、不意に強度を増した逆光にさえぎ遮られながら、だっきゅう脱臼した様に、斜めに
かたむ傾いている。元には戻らない。風が吹き、ポケットの中と、首の付け根の辺りの両方で、
カタカタしんどう振動音がする。蝿の複眼の様な眼。こいつが俺の「担任」だって? 「担任」と
は、一体何のことだ? それは多分、ただ只の死語で無ければ、この俺から「告白」をも椀ぎ取
る為の、或る脅迫の記号に違いない。でなければ、そんなものは、もうとっくに消えう失せ
ている筈だからだ。――ああ、俺は……やつに……(その時、俺はどうしても声が出なか
った。ちっそくすんぜん窒息寸前だ。何も見えない。聞こえない。もう家には帰れない。もう二度と。俺は
消されちまうんだ。さよなら母さん。さよなら……)

 ――その約*時間前
(……あらかじ予めし強いられたことを話すことなんか出来るものか! 「何かがあった。何があっ
たのか、俺は知ってるんだ」なんて、どうして話せるんだ? 誰一人、そんなこと望んで
やしないじゃないか! そんなことを俺が話すことなんか、誰も。要するに、やつらの思う
通りに、「たい大したことなかった」って、この俺が皆に言えばいいんだろう! ……しかし、
もし何も話さなければ、誰の眼もとど届かない場所で唯殺されるしかない……。やつらに殺ら
れるのか、それともその前に自分で自分を殺すのか。――さあ! 最後のせんたく選択はお前だけ
のものだ。……だが本当は、第三の道があることをこの俺も知っている。本当は誰もが知
ってるんだ。誰もがやりたいんだ。決して口には出さなくても。やる勇気がなくても。 ―
―そうだ! やつらを、そしてやつらの裏にいる……あの「オヤジ」を殺すことだ! そ
うさ、そうだとも! 絶対にぐちゃぐちゃにしてやるんだ! この俺が、あの日、そしてそ
の次の日も、いつも真っ黒い世界の底できたな汚らしい血のあわ泡をは吐き続けた様に。……誰一人死
にたいヤツなんかいやしない! や殺られるのも、その前に死ぬのも、どちらもごめん御免だ! 今
度この俺に近付いてみろ、俺は……やつらを、ぶち殺してやる!)
……………………………………………………………………………………………………

                4/4
「……それも、たぶん、夢の中のことだったと思います。★★君はそのときも、皆の夢の
中で、いつまでもエヘヘと笑ってたんです。ほんとうにおか可笑しそうで、またゆかい愉快そうでし
た。皆は、ずう―っと、そのエヘヘを見ていました。夢の中だから、どれだけ時間がた経っ
たのかは分かりません。皆、まんぷく満腹そうでした。皆、可笑しそうで、また、とても愉快そう
でした。皆で遊べて、★★君もいっしょで、皆はおなか腹がいっぱい一杯なのでした。そのうえ、皆は、
ふつうのごはん飯のほかに、おかし菓子もたっぷり食べたのですし……。わたしも食べちゃった!
だって皆といっしょなんだもん。これホント。でもほんとうに、夢の中でいっしょに遊ん
だのは、皆と、★★君と、わたしと……。――それから? ★★君は、いつも皆といっし
ょに、ずうっ―と、ずうっ―とそこにいた、たぶん……だよね? フフ。皆の夢の中でも、
理科や社会科の実験室の中でも、保健室でも、機械室でも、計算室でも、おもちゃの部屋
でも、いつでもどこでも、★★君は、たしか、フツ―のご飯で、そのうえとっても、とっ
ても、おいしいお菓子だったの、たぶん……(これホント)」(あの日の放課後。子どもた
ちの証言。)

(「逝ってしまった」のでは無かった。あの「母親の言葉」も、何者かによって予定され、
強いられた「告白/言表」だった。そのねつぞう捏造された言表を、プログラム通りに彼女からは剥ぎ
取ったのは、そしてそれを分析し、〈光景〉へと変換したのは――この俺だ! そう、あい
つを抹消したのは……
こうして、「告白/言表」は現実となり、あいつは予定通り抹消された。共犯者は無数だ。
そして、抹消の共犯者は全て、同時に抹消の対象となる。全ての者が共犯者だとすれば、
いつしか誰もいなくなり、この街自体が自動的に抹消されることになる。恰も何も起こら
なかったかの様に。〈出来事〉も〈光景〉も、何一つ生起しなかったかの様に。だが、あい
つがそうぐう遭遇した光景は、既に消え去った/抹消された者たちの無数の光景と共に、繰り返し
この俺の元に回帰して来る。これが、抹消不可能なル─ルだ。)

体育館脇のネットフェンスにそ沿った小道。いき遺棄された運動器具倉庫の扉が、さび錆付いた
なんきんじょう南京錠でふういん封印されていた。不思議なせいじゃく静寂があた辺りを支配している。みちばた道端にころ転がっている、ふ踏
みくだ砕かれた赤外線あんし暗視スコ―プ?の破片に、くさ腐ったらんぱく卵白の様な何かがふちゃく付着している。
年代物のつぶ潰れたスペア眼球だった。
その傍らで――

「……んでね、あれからあのバカ一体どこへ消えちまったんだあ? へへ……だったら、
笑っちゃいますよね。ヘヘ……ですよね?」
「バカやろ! ボケ。んなこと俺が知るかってえの」
「でもゥ」
――るっせェなあ! 「オヤジ」にシバカレてえのかよ、てめえはよ!


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